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essay“color”

シリーズ/随筆・色
 石塚英樹|Ishizuka hideki

 コンピュータがデザイン教育や家庭に普及し始めた1990年代中頃から、コンピュータ上の色彩に関する作品を制作してきました。今となっては当たり前のことかもしれませんが、小さな光の点が集まったディスプレイが、マウスの操作に合わせて変化する光景は、私の色に対する見方を大きく変化させたように感じます。 部屋の照明を消してもスマートフォンの画面が光って見えるように、ディスプレイ上の色は発光体の光によって作られています。対して物の色は、照明からの光が物の表面で反射し、眼に届いた結果として見えています。なので、発光体であっても物体であっても、私たちが見ている色は光から作られていると言うことが出来ます。コンピュータの操作に合わせて変化するディスプレイ上の色彩は、色が光から作られていることを最も原理的な状態で見せてくれたのと同時に、色彩に潜在する光の魅力を示唆しているようでした。このことは、色に対する私の興味を光の興味と融合させ、さらには空間の興味と融合させるきっかけとなりました。

 照明からの光は物の表面で反射するだけでなく、物体の間で反射を繰り返しながら物の隙間や裏側にも入り込み、最後、私たちの眼に届いています。確かに言われてみれば、物陰でも色や形が見えるということは、照明からの光が何かしらの経路で物陰にも届き、さらにそこから眼に届いた結果だと理解出来ます。つまり、光は照明から物、物から眼に届いているだけでなく、物と物の間で反射を繰り返しながら、空間のいたる所に入り込んでいると言えます。また、通常の生活空間では物と物、人と物の間に空気が存在しているので、空気の中で反射を繰り返した光が私たちの眼に届いていることになります。このことは、私たちが常に空気ごしに物を見ていることを意味しています。水に潜った時には水中での色の見え方がある様に、私たちが日常生活で見ている色は、空気中での色の見え方だと言うことが出来ます。

 光が反射を繰り返しながら空間のいたる所に入り込んでいること、空気や水など、光が通る場所によって色の見え方が変化していること、この二つの考え方に出会ってから、空間を満たす光を見たいと思う様になりました。もちろん、眼に届いた光だけが見えているので、眼の外で反射を繰り返す光を客観的に見ることは出来ません。しかし、空や水、物陰などに現れる色の変化を観察しながら、空間を満たす光の動きを想像することは、私のちょっとした楽しみになっています。

 ある美術家は「大きな絵を書けば画面の中にいることになる」と言い、物理学者は光の動きを観察するために様々な装置を考案し、色彩論を書いたドイツの詩人ゲーテは、死の間際に「もっと光を」と言ったとされます。虫や植物が常に光に向かっていく様に、光の中に入りたいという感覚は、人間を含む生き物の根源的な願望であるのと同時に、美術や科学といった分野を超えた創造の源のようにも感じます。自身の操作に対応して変化するディスプレイ上の色彩に感じた光の魅力とは、光の中に入るような感覚、言い換えれば光に満たされた空間を歩く楽しさと同じものかもしれません。そして、空間を満たす光の動きを想像しながら歩くことの楽しみは、空と水、そして地形が印象的な江の島・湘南藤沢であれば尚のことだろうと想像して止みません。

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石塚英樹|Ishizuka hideki

武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科 教授

 

 1975年東京生まれ。色立体の制作を通してコンピュータ上の色彩論を構築する試みと、個人個人の制作プロセスから立ち上がる色彩モデルをコンピュータ上に生成する試みを大学在籍中から始めました。大学院を修了後、それまでに行ってきた「コンピュータと色彩」をテーマとした研究制作を継続、応用しながらデザインと教育活動にたずさわっています

 ジェームス・ギブソンやジョセフ・アルバースなどの色と光に関する理論や、プログラムを使用した色彩のスタディを軸にしながら、ディスプレイ上でインタラクティブに色立体を見ることが出来る作品や、色彩現象を再現することで体験的に色を見ることの出来る実演形式の講義を行ってきました。

研究と制作と教育は連動した一体的な活動であるのと同時に、その活動自体もデザインであると考え造形に取り組んでいます。

伊賀公一|Iga kohichi 

 藤沢には息子が住んでいて時々会いに行きます。普段都内に住んでいるために近いところのものばかり見ていますが、江ノ島付近では遮る物が無く遠くまで見えて大気の色の存在感に取り込まれてしまうところがあります。青空と青い海、夕焼けの空の色が最高です。

 

 私は昔は色弱と呼ばれている眼を持っています。遺伝による特性の一つで、生涯変化する者ではありません。近頃人間の心身の多様性について社会の理解が進むようになって、色の見え方が違う人が普通にいることも知られるようになってきたようでお聞きになったことがあるかもしれません。眼科の分類では日本人男性の約5%が該当し白人男性では8−10%がこのような眼を持っていて女性には遺伝の関係で500人に1人とかかなり少ないと言うことです。

 自分が海岸に立って、こうしてみている最高にきれいな夕焼け空の色は、実は多くの人の見ている夕焼け空と異なっているのだと言われても、自覚も無ければ比較することができないものです。私の色の感じ方の傾向としては一般の方たちより赤がかなり暗く感じられ、赤系と緑系が同系色に感じられるものです。しかし青系と黄色系の差は過ぎるほどに鮮やかに感じられているようです。世界の色は単色では無く、複雑な色の要素の複合体なので、どちらの眼が優れているとか劣っているとか簡単にいえるものではないようです。

 研究者によると人がこうした眼を持つのは疾患では無くヒトの進化の結果で、赤と緑を区別しない代わりに、色の濃淡や物の輪郭の見分けに眼と頭が使われていると言うことでした。人の能力は個人力では無く、互いに得意分野が少しづつ異なる集団力が大きいらしく、緑色の草の中の緑色の昆虫を見つける能力が高かったり、サバンナの危険な肉食獣、狩りをするときに獲物を早く見つけるなど少数色覚の人たちの得意な役割があったのでは無いかということです。

 

長く日本では色の見え方が異なる人には安全にかかわる仕事や理系の仕事はさせないでおいたほうが良いとされて、過剰に職業制限や進学制限がされていた時代もありました。しかし社会の理解と、誰もが使いやすい配色の製品群が主流となってゆくにつれ、制限も一部に残るのみになりました。さらに、多数色覚の人の眼も人それぞれかなり異なっていることまでわかってきました。

 モノの考え方やモノの見え方は人によって違うと言いますが、あなたの隣にいる人と同じ風景を見ていても、同じに感じていることは無いと言うことが、例え話で無く科学的に事実だと言うことになり、標準的な色の感じ方という言葉すらおかしくなってきました。今回のイベントをきっかけに、様々な物の色が人によって違うらしいということを思い出してもらえれば幸いです。

伊賀公一|Iga kohichi

CUDO)/視覚情報デザインコンサルタント 

1955年 徳島県生まれ。早稲田大学在学中にITの開く未来に目覚め中退。アップル販売会社や

     IT 系ベンチャー企業の役員を経て、1998年より色覚バリアフリー活動を開始。

2004年 特定非営利活動法人カラーユニバーサルデザイン機構の設立に参画し、副理事長に就任。

2007年 東商カラーコーディネーター1級取得。自身もP型強度の色弱者。 

2008年 グッドデザイン賞受賞 ディレクター

2009年 平成24年度バリアフリーユニバーサルデザイン功労者表彰、内閣総理大臣賞を団体で受賞

2018年 JISz9101.9103 JIS安全色原案作成委員

著書 「カラーユニバーサルデザイン」(ハート出版)

  「色弱が世界を変える」(太田出版) 色弱の子供がわかる本(監修・かもがわ出版)

NPO法人カラーユニバーサルデザイン機構 副理事長

日本色彩学会 個人正会員

東京商工会 1級カラーコーディネーター

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